地域をそして地域で暮らす人を元気に幸せにするため日々奮闘している“地方公務員、地方議会議員、地方公務員として働きたい人”を応援したいと令和3年4月に起業しました。
誰にも心に宿る光があります。
誰にも心に宿る種火があります。
その光がより強く光るサポートをしたい。
その種火が燃えるサポートをしたい。
そして未来を強く照らしたい、明るく照らしたい。
そんな志を持って起業しました。
私は、平成のはじまりとともに地方公務員になりました。
大学時代から漠然と地元奈良に貢献したい、奈良で働きたいと考えていました。
高校(奈良県立高田高等学校)、大学(関西大学)と柔道をやっていたこと、民間会社で仕事をする自分自身のイメージが湧かなかったこと、刑事に対する憧れもあって大学卒業後、警察官として地方公務員生活をスタートさせました。警察学校を卒業後、派出所で勤務しました。
その後、地方公務員として様々な仕事が出来る市役所に転職しました。
この間、様々な所属で地域とそして地域で暮らす市民の方と関わらせていただきました。
最初に配属された所属は財政課でした。
翌年度の予算編成、前年度の決算分析、交付税算定、地方債の借入れなどを行う市役所で最も激務と言われる所属でした。
次に人事異動で市全体の事業計画や市政運営方針などを策定する所属に配属になりました。この所属も市役所でも有数のハードな所属でした。
その後、民間の保育園の運営に関わらせていただく仕事、そして中小企業を支援・振興する仕事をさせていただきました。ここでの経験が地域での雇用創出、活性化のために奮闘されている中小企業の経営者の方をサポートしたいという思いにつながっています。
この所属に在籍中には総務省の自治大学校に入校させていただくという機会にも恵まれ、また管理職にも昇格し市議会に出席するという経験もしました。
そして平成22年4月に人事課に異動になりました。
在籍した平成22年度から27年度までは市役所の職員として最も濃密な6年間でした。
職員採用試験の面接、昇任昇格、懲戒処分などの仕事はいずれも判断に悩み、迷うことが多く仕事の困難さを痛感しました。
また、時間外勤務の縮減やパワハラやメンタル疾患の問題に取り組みましたが改善されず責任を感じる日々でした。
大好きな先輩職員がいわれのないパワハラで志半ばに退職されるといったこともありました。
人事課長として何かできなかったのかと今でも後悔の念でいっぱいです。
この時の経験が地方公務員、地方議会議員、地方公務員として働きたい人を応援したいと起業したきっかけになっています。
地域をそして地域で暮らす人のために仕事をしている “地方公務員、地方議会議員、地方公務員として働きたい人、中小企業を応援します。